インターネットにゴミを散らかすブログ

好きなこと、嫌いなこと、思ったこと、世間話をつらつらと書いていきたいです。

Youtuberのコレコレさんのおもしろさについて

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何で知ったのか、全く覚えていないものの、(おそらく)Youtubeを眺めていて、ふとした瞬間に引きの強いタイトルで聞いてしまったが、ハマってしまったYoutuberがコレコレさん。

livestreamers.co.jp

 

何が面白いかというと、至極まっとうなコメントを困り事が起きて、相談しにきたリスナーに振りかざすのだ(そしてそのコメントに共感できるからなおさら清々しいのだ)。

相談してくるリスナーの内容が痴話話のようなものから、いじめ、虐待等(つくり話でなければ)自分が生活しているこの世界線において、同じタイミングで起こってるであろう事案をその場で解決したり、切り捨てるこの構造が、なんとも面白く、日曜日に放送しているフジテレビの「ノン・フィクション」のような感覚で刺さる(Youtuberの裏話の暴露もあるが、それはそれで「Youtuberも人よね~」という思いにさせてくれるのですごく楽しんで聞いている)。

そして配信頻度が多く、コロナ禍でリモートワークも多い中で、聞きながら楽しめるコンテンツとして、画面はいらないので、podcastのながら聞きのように楽しめており、筆者の生活の一部になりつつある。

 

コレコレさんが配信を始めた理由の1つにラジオ番組を自分で持てる感覚で、というのがあがっていたが、聞いていて面白いのが、あるネタを取り上げるすると、その話題に対してより詳しく知っている関係者が出たり、より専門に知っている人が集まって解決したり暴いたりする構造があり、この構造がリアルタイムに接続された配信の中で展開されているこの状態を僕はインターネットにおける集合知に近しいものだと捉えており、リアルタイム性を相まってとても熱量を感じるコンテンツに思えているのだ。

かつ、ノン・フィクションという部分もコンテンツに迫力を増させる要素であるように思う。

 

このスタイルがいつから始まっているのか、筆者自身はYoutubeのコレコレさんしか拝見してないので、わからないが、お悩み相談や暴露話が集まるようになったこのキッカケや過去のコンテンツを系譜的に追ってみたいと思ったりしたものだが、どうやらBANされたりして、残っているアカウントはおそらくYoutubeのみ。

 

個人的にはこのスタイルの配信者はノックチャンネルさんやkimonoさんあたりが頭に浮かぶが、どちらもやや癖が強いに感じる(特にkimonoさんは怒鳴り散らかしているチャンネルを見てしまい、騒ぎ立てるタイプの配信者に感じで萎えてしまい(というか怒鳴ってなにかを解決する感じが面白くない)、ノックチャンネルは正論というほどの論もたてないのと、相談内容がそこまで引きが強くないのが難点かなと)。

 

配信をすることで食べているのかと思っているが、配信外でも仕事があるようで、アイドルのプロデューサーをになったり、服の通信販売を行っていたりと、配信によって得た知名度を活かし、横の事業へその影響力を展開させ、活動範囲を広げているのだ。

 

学校や職場で何か起きて困っている人がいたり、Youtuberが裏で悪事を働いている限りにおいては、おそらくコレコレさんのコンテンツ素材の確保は容易だろうし、一方で他のYoutuberは頻度の高い配信につかれ、かつ、ネタも他のYoutuberのものを使いまわしたりする中では、ビジネスモデルに優位性があるように感じる(相談は勝手に集まるだろうし、集合知でリスナーがいればそれなりにコンテンツになるので、コレコレさんは配信すればいいのだ)。

 

そんな人のチャンネルの同時接続数が徐々に増加しているのを見ると、筆者としては自分だけが楽しんでいるコンテンツとして優越感に浸っていたものだが、徐々に体重と共に大きな存在になっていくことに、(勝手に)コレコレさんが遠い存在になってしまうのでは、という懸念もあるが、黙っていても入ってくる収入に甘んじずどうか、わけわからない相談事を晒し、正論を振りかざすコンテンツを継続して欲しいと思います。

 

まとまりがない内容になりましたが、自分が好きなYoutuberの紹介でした。多分筆者の周りでハマっている人は自分しかないだろうなと思いつつ。

 

www.youtube.com

地雷震という漫画・コミックについて

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仕事におけるストレスが溜まると、無駄に物欲が湧くのですが、たまたま見つけた「地雷震」という漫画・コミックを買ってみたのですが、思いの外面白く、土曜日の夜から読み始め、全19巻を徹夜で読みました。

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物語としては新宿署で働く、同僚が死んでも涙しないような刑事が主人公(飯田響也)として、次々と起きうる事件を解決に持っていくストーリー(事件それぞれは独立している)。

集英社のコミックにあるような「友情・努力・勝利」というような要素はなく、かつ、落ちこぼれとか体育会のようなキャラクターでもない主人公を中心に、残忍な事件や複雑な事件を解決(よく銃を使って解決するあたりはあんまり現実味はない)していくそのテンポとテンポの良さに対して、主人公のキャラクターが明らかになるわけではなく、各事件の解決の中で、主人公の性格が垣間見れる程度で、次の事件はどういうストーリーで主人公はどう解決するんだろう、という好奇心を維持したまま読み進めることができた。

個人的には小説においても金融の小説やハードボイルド小説を好む身としては、この漫画・コミックは好みでした。

小説でいうと大沢在昌さんの「新宿鮫」に似たようなものを感じました。

 

おそらく取り上げている事件については、その当時の流行りや社会的に話題になったものを参考に作成されているようにも思えます(宗教ネタとかいじめとか米軍基地ネタとか)が、2021年の今でも十分に共感・理解できる内容ですた。

 

サンクチュアリだったり、うなぎ鬼のようなテイストの漫画が好きなのですが、他におすすめがあればぜひ教えて下さい。

 

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クリエイターエコノミーと自己の関係について

2020年からのトレンドではあるが、Z世代を中心として、自分の身の回りのことや自ら想像したものをSNSサービス等に投稿し、ファンを集め、最後にマネタイズするようなクリエイターエコノミーが流行っている。

 

日本では、tiktokerやyoutuberがそれにあたるし、海外だと、ニュースレター配信サービスのsubstack(Substack - Start a paid newsletter)、スポンサーサービスのPatreon(

Best way for artists and creators to get sustainable income and connect with fans | Patreon)、Twitch、Discord等のサービスを通して、個がエンパワーメントされ、個性が金を生む仕組みである。

 

消費者の個の関心に合わせたプロダクトが、個によって提供され、消費されていく動きが加速化しており、より消費行動がタコツボ化してきているように感じる中で、自分自身も消費者でありつつ、クリエイター候補でもあるわけで、「もしかしたら、自分もどこかでクリエイターになれる/ならなければいけない」という思いも持つように思う。

 

どんなクリエイターサービスを使ったとて、自分にはファンがなかなかつかず、「自分はクリエイターになれない」という疎外感が生まれるような現象も起きうるのではないか、と思ったりします。中学や高校における、人気な生徒とそうじゃない生徒以上により細かい粒度において、個レベルでのクリエイティブ数が数値化されていくような感じがしており、それが良いとか悪いとかはないのですが、周りが様々なツールを使ってそれなりに楽しんでいる横で、自分がそれを消化することしかできないことの焦り、のようなものは、社会人で一定の年数が立ち、それぞれのライフスタイルの確立が目立ち始める20代後半や30代に特に感じそうな気もします。

 

 

オフィスの効用

www.cnbc.com

Goldman Sachsはオフィスでの仕事を再開する模様。

足元はコロナ感染によるリモートワークが盛んではあるが、コラボレーション、イノベーション、見習い制度という文化は同じ空間において、同僚と一緒に働くことで効いてくると言う。

We know from experience that our culture of collaboration, innovation and apprenticeship thrives when our people come together, and we look forward to having more of our colleagues back in the office so that they can experience that once again on a regular basis

 

個人的にもオフィスで働く場合には同僚との予期せぬ会話ややり取りが発生することで、前進することやコミュニケーションの齟齬が解消されるし、同じ時間にリラックスしていれば、趣味の話題にも飛び、寄りお互いのことを知れチームとしての一体感が生まれることもある。特に新卒の社員であれば、見習い制度無しにして、学び続けるのは限界がある気もする。先輩の見様見真似や振る舞い等をコピーすることが型を付けるのはもちろん、先輩として後輩を育てるにも、意識せず同じ空間にいることで、先輩として意識していなくても気になった部分を見つけることができ、更にはその違和感を補正することができるからだ。

 

2020年、2021年に入社した新入社員は、それ以前の新入社員よりも仕事場における成長スピードが相対的に 下がるイメージが想像に難くない。

 

当然家で仕事することで、作業系だったり、自分しか抱えていないタスクを消化できる意味ではかなり有用だな(自分にとっては不要で、優先度が下がるタスクも発生する可能性が下がる)と思いつつ、出社をしない、ということは、自分の将来や気付きを下げることであり、ある意味オフィスは不確実性の高い(人がいる場という意味で、どういう会話が発生するか、どういうやり取りを行う予定かは定まっていないという意味で)場所であり、その不確実性を基にイノベーションが発生するのだろう(コロナ前ではイノベーションというより当たり前の現象だったかも知れない)。

 

Youtubeの投資振り返り

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1年前にredditSequoia Capitalによる2005年11月時のYouTubeへの投資メモが落ちていました。

www.reddit.com

https://www.alexanderjarvis.com/wp-content/uploads/2015/10/Sequoia-investment-memo.pdf

 

Youtubeが直面する動画に関する課題は、

  1. e-mailに添付するには動画は重い
  2. ホスト(通信量?)するには動画ファイルは大きすぎる
  3. 動画ファイルのフォーマットが乱立している
  4. 動画ファイルそのものは独立しており、視聴者同士の交流はもちろん、動画同士の関連・つながりがない

という4つを中心とした課題により動画共有が進まないこととを、

  1. ネットのアップロード
  2. Flashへの統一フォーマット化
  3. コミュニティの場の提供等

によって解決しようとした、というのがその当時の解決策。

 

マネタイズの方法はuser-generatedによるvideo contentsが量産されていく中で、

  • 広告
  • 機能追加による課金
  • コンテンツ課金等

を掲げており、その当時の投資担当者であるRoelof Botha氏はYouTube has a clear advertising revenue opportunityがあるとし、売上の試算を算出している。

ここではYoutubeのCPMだったり、広告を差し込める動画の在庫の数、コンテンツ量産の可能性を係数として、複数種類の売上モデルを算出することで、ポテンシャルを示している。が全体の売上が変わりそうな係数が未知の中で売上の試算をしても、あくまでも項目としての整理であって、本質的な投資の理由にはならなさそう。

 

マーケットは未知、事業におけるマネタイズの滑り出しを見ていないながらにも、Youtubeがローンチ後からuser-generatedコンテンツとして、動画アップロードのハードルが下がることや、人々が体験を共有する動きが各媒体(text,images)で起きている全体感に加え、順調にコンテンツが増えていった事業KPIのカーブやチームアップといった直近の実績と更に事業を伸ばせるチームアップであることを理由に投資していることについては、Seedゆえの投資スタンスはあったとしても、投資担当者による肌感もありつつ、類似企業の事業規模を凌駕するスピードでの伸びというところも(投資判断に)大きく効いているのかな。

今では、Youtuberという仕組み(広告還元)による大量の動画コンテンツの投下を実現できたこと、動画クオリティが上がってきたことがYoutubeの伸びを牽引したように見えるが、事業開始当初にそのようなアイディアが存在したのか、気になるところ。

いずれにしろ、2005年においても人と人とのsocial networkingは動画という媒体においてもキーポイントであり、今ではクリエイターとファンの間におけるコミュニティ形成だったり音声という媒体におけるコミュニティ形成の場が数々提供されていく中で次世代のプラットフォームは何の係数を持ってして投資を受け、事業として拡大・確立していくのか、VCおよびベンチャーの動向に目が話せないです。

 

 

 

 

TikTokやyoutubeからみるコンテンツ生産の動き

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以下の記事をはてなブックマークから見つけて読んでみました。

jaykogami.com

興味深いのは以下です。

ストリーミングやTikTokなど、バイラルするコンテンツでは、次のアクションを起こすまでの「スピード」が重要視されます。その中で、A&R専門レーベルやマネジメントが、メジャーレーベルとクリエイターとの橋渡し役として機能してきました。新人を発掘するために必要な情報にアクセスできる体制を最大活用しているのがコロムビアレコードやRCAレコードの売りの一つと言えるでしょう。

 

ここでいうスピードは有る種「オープン」と言い換えることができるかもしれないです。企業や特定の人が有していた既存コンテンツの権利を一部開放・オープン化することで、派生したコンテンツを見知らぬ人が生み出す、有る種健全なインターネット的動きが発生していると思います。

人を集客できるプラットフォームという立場×UGC(User Generated Contents)の仕組みの中でいかにyoutuberのようなクリエイターやtiktokのようなインフルエンサーを作り出すか、コンテンツやアイディアの実現の発生のハードルを下げられる工夫が各所で行われており、それが記事でいうスピードなのかなと感じます。個人的には権利開放のオープン化によるクリエイティビティが進む、というイメージが近いのですが、既存権利をうまく活用した形で人の注目や人気が集まればそれはある種認められたコンテンツになりますし、特にエンターテイメントやNetflixAmazon Prime、漫画、映画、ゲーム等色々なコンテンツ同士、人間の可処分所得を争っている中で、「スピード」というのはとても大切なものであり(既存の権利を派生させて、さらにビジネス拡大ができるならなおさらであり)、プラットフォーム側としても他のプラットフォームと戦う中出魅力的なコンテンツを以下に量産できるか、というところがポイントになります。

 

個人的に関心があるのが、1つのコンテンツ自体の時間の概念がどうなっていくかです。映画のような2時間程度のコンテンツのようなものは引き続き、続くのか。

 

現在においては、なんとなく、コンテンツの消化のスパンがすごい短くなってきているのではないかと感じます。youtuberの動画コンテンツもだいたい10分に納められていることやtiktokのような短い動画から見られるように、この動き自体は人間に対するコンテンツの供給が過多なのか、はたまた、作り出すクリエイターが、以前よりもいわゆるプロと言うよりセミプロ、もしかしたら素人がコンテンツが作れるようになっても長いコンテンツは流石に作りづらいのかわかりませんが、大量の資金を投じて2時間の大作を作り上げる等の動きがどんどん希少化していくような気がしており、逆にその動きができるような企業が各プラットフォームと違いニッチなポジションを確保できるような気がしますが(但し人間の可処分所得の総時間をどこまで奪えるかはわかりません)、そこまでしっかり調べていないのでわかりません。

 

この議論を超えて、コロナが戻れば、よりライブ等の観客者も一体となって楽しめる物理的なエンターテイメントについても再度復活する気がしますし、なによりその熱量を表現できるプラットフォームのほうが、マネタイズ(=利益の話は置いておいて、売上は生み出しやすそう)はしやすそうです。

 

 

映画:キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンを見た

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大学生から社会人になりたてのときには、よく映画をみていたもので、件名の映画も面白いを言われていたのだが、2000年前後の作品については、今の時代環境(例:携帯がない等)と違う可能性もあり、敬遠していたが(加えてNetflixをみていると最新の映画やオリジナルコンテンツを見る機会が増えた)、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を見た。

 

映画作品としては、「経営者の父と父の友人と不倫している母のもとに生まれた子供が、両親の離婚を機に家を飛び出し、たまたま見つけた、女性に囲まれたパイロットをかっこいいと思い、職業詐称、小切手偽造を展開する中で医者、弁護士と点々を仕事を変え、最後はFBIの刑事を引受人として刑事の協力をする」話である。

映画を見た後に気づいたのだが、2002年におけるスティーブン・スピルバーグ監督の作品であり、同年にはマイノリティ・レポートもリリースしている。

 

おそらくパイロットや医者、弁護士についてはその当時も花形の職業だったのだろう、個人的には父にいいところを見せたい主人公と形から入りやすい(わかりやすい)職業があいまって、なりすまし、主人公としては、父にいい姿を見せたかったのかな、という思いにさせられる。

 

父に認められたい・安心させたい一心で進めていった職業詐称についても、周辺を騙し続ける必要がある中で、ボロが見えて転々とし最後に残ったのは小切手偽造による技術力であり、その力は本物だったことからも、最後はFBIに認められて、自分という存在を見出した。

 

作品の中で、なぜ刑事に扮するトム・ハンクスが司法長官をも説得し、主人公を引き込んでいったかはよくわからなかったが、毎年家族で過ごすクリスマスに主人公と刑事が話していることから、家族的な距離感が醸成されていったのだろうと思われる(主人公の父がなくなったこと等にも影響があるのだろう)。

 

2時間で一つの作品を楽しめる映画、映画館の運営がコロナでままならない中で、映画のような形でコンテンツが作られなくならないか、はたまたNetflixのようなサービスが映画のようなコンテンツの産業を支える構造に完全に転換していくのか(映画の製作者からすれば、Netflixでコンテンツ作ることと映画作品を作ることは違うのかはわかっていない)気になるところ。自分もいつか自分が作ったコンテンツが誰かに消化されてみたいものである。