コンテンツ過多とD2Cの類似性
ブログをサボりました。
ワクチン2回目を受けてから2週間経ったので免疫がついたのかなと思いつつ、ワクチンの将来的なリスクを注射し終わってから気にし始める僕です。
最近テレビを見ることがめっきりなくなりました。もともと、そんな見ない生活なのですが、改めてみると、見てるのは水曜日のダウンタウンとガキ使ぐらいでしょうか(録画)。
暇な時間で何をしてるか、というとYouTube見たりTwitterみたり、本読んだり、ネットフリックスを見たりしてるわけですが、気になったのが、人間24時間のうち、8時間は睡眠、8時間は仕事、残りの時間を企業がコンテンツを提供して時間を奪っている構造の中で、コンテンツの供給がクリエイターエコノミー等の追い風を受けて加速し続けているんじゃないかということです。
加速している中でのコンテンツによる人間の可処分時間の奪い合いの例としてわかりやすいのが、TikTokや、切り抜き動画でしょう。コンテンツといっても色々あると思うんですが、動画コンテンツは、より短尺にし、面白い部分だけを残した濃いコンテンツを提供しつづけている傾向にあると思います。
ユーザーの飽きや離脱をなくすべく、五月雨に濃いコンテンツを供給してサービスに居続けさせる。
サービスに居続けさせるという意味では同時接続系のコンテンツも、同時接続によるモメンタムを煽ってユーザーを呼び込んでるのも似たような構造かと思います。
この傾向が加速してる中で、人間側もある種、いつでもどこでもコンテンツを欲する行動が出てきている気がします。
台所なiPadを持ち込んで動画を流したり、トイレに携帯持ち込んだりしたらその動きが該当するかなと思います。
コンテンツ漬けになることで、コンテンツを浴びていないと、物足りない感が出てきている気がします。最近では「ながら時間」と呼ばれてる時間もそのトレンドを受けてると思いますし、コンテンツを供給する企業側も、あるゆる可処分時間を奪おうと、工夫してるわけです(僕も動画や音声コンテンツを垂れ流しする傾向があります)。
このトレンドを俯瞰した場合、世に存在するコンテンツあたりに消化されるユーザー数が徐々に減ってるんじゃないかなと(SNSによりバズりネタは、ユーザーへのリーチが広くなった気はしますが、ここでは全体感の話)。
つまり、存在するコンテンツを分母とすると、それを楽しんでいる分子はどんどん小さくなっていくのではないかと。
これと似た動きがあるかなと思うのが、D2Cのビジネスモデルです。万人受けするプロダクトをD2Cで提供する動きがありますが、逆も然りで、より細分化されたレベルのニーズを満たすためのプロダクトは、従来の物理リーチのみではむずかしかったところが、ネットの台頭により、店舗や人件費を抑制しながらプロダクトを作る余裕がでてきたのではないかと。
そして、痒いところに手が届くようなプロダクトは、D2Cの浸透により、爆増し、蛸壺化されたニーズに対して、それぞれにD2C経由でプロダクト提供しはじめたのではないかなと。
それを先程のコンテンツの理論で見ると、蛸壺化されたニーズに対応する動きにはなるので、1プロダクトあたりの売り上げや、シェアはより少なくなっていくのではないかなと思いました(世には存在しないプロダクトの台頭により市場を創造することもあろうかと思いつつ)。
はい。思ったことをつらつら書きましたが、
SNSなどのバズりとは対局の動きとして、個別ニーズに満たすプロダクトやコンテンツが出てくることで社会や世界は細分化されまくっていると言う話でした(細分化されつつもロングテール理論で見れば、そう言った売り上げが全体の8割を締めますし、そもそもの市場創出による、市場拡大等が起きていると言うことも言えるかもしれません。)。
27時になりました。寝ます。