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映画:キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンを見た

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大学生から社会人になりたてのときには、よく映画をみていたもので、件名の映画も面白いを言われていたのだが、2000年前後の作品については、今の時代環境(例:携帯がない等)と違う可能性もあり、敬遠していたが(加えてNetflixをみていると最新の映画やオリジナルコンテンツを見る機会が増えた)、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を見た。

 

映画作品としては、「経営者の父と父の友人と不倫している母のもとに生まれた子供が、両親の離婚を機に家を飛び出し、たまたま見つけた、女性に囲まれたパイロットをかっこいいと思い、職業詐称、小切手偽造を展開する中で医者、弁護士と点々を仕事を変え、最後はFBIの刑事を引受人として刑事の協力をする」話である。

映画を見た後に気づいたのだが、2002年におけるスティーブン・スピルバーグ監督の作品であり、同年にはマイノリティ・レポートもリリースしている。

 

おそらくパイロットや医者、弁護士についてはその当時も花形の職業だったのだろう、個人的には父にいいところを見せたい主人公と形から入りやすい(わかりやすい)職業があいまって、なりすまし、主人公としては、父にいい姿を見せたかったのかな、という思いにさせられる。

 

父に認められたい・安心させたい一心で進めていった職業詐称についても、周辺を騙し続ける必要がある中で、ボロが見えて転々とし最後に残ったのは小切手偽造による技術力であり、その力は本物だったことからも、最後はFBIに認められて、自分という存在を見出した。

 

作品の中で、なぜ刑事に扮するトム・ハンクスが司法長官をも説得し、主人公を引き込んでいったかはよくわからなかったが、毎年家族で過ごすクリスマスに主人公と刑事が話していることから、家族的な距離感が醸成されていったのだろうと思われる(主人公の父がなくなったこと等にも影響があるのだろう)。

 

2時間で一つの作品を楽しめる映画、映画館の運営がコロナでままならない中で、映画のような形でコンテンツが作られなくならないか、はたまたNetflixのようなサービスが映画のようなコンテンツの産業を支える構造に完全に転換していくのか(映画の製作者からすれば、Netflixでコンテンツ作ることと映画作品を作ることは違うのかはわかっていない)気になるところ。自分もいつか自分が作ったコンテンツが誰かに消化されてみたいものである。