インターネットにゴミを散らかすブログ

好きなこと、嫌いなこと、思ったこと、世間話をつらつらと書いていきたいです。

死ぬこと

大学も卒業して、社会人をやっているわけだが、時々物欲やキャリア含めてこう描けたらいいぁという思いを強烈に持ちながら、土日や夜中になるとふと「どうせ死ぬならあんまりこだわってもしょうがないのかな」と思い始める。どれだけ今、目の前の事に悩んだとしても死ぬ前や死んだ後においては、全くの無意味であり、ただの思い出にしかならない。
死んだあとは記憶は残らなさそうであるが、残った場合次はどういう概念で自分が残り続けるのだろうか。企業として社会にとって良い影響を残すのか、テレビ等のマスメディアに露出することによって、同時代においては有名人になるのか、ブログを地道に書いたりすることで民俗学者の目にでも止まるのか等、自分の存在がいたことを残せる手段は色々あるだろうなと思いつつ、ゴッホみたいに死んだ後の自分が存在していない限り自分にとってなにになるんだ、という気持ちも沸き起こる。
(死ぬときは痛みたく眠るように死にたいなと思いつつ)一方で、人生80年と呼ばれる昨今で実際に80歳まで生きるとした場合(積極的に死にたいという気持ちもないし、そんな度胸はサラサラないし、周りの人に死によって迷惑もかけたくない)、どういう過程を歩みたいか、不安になる気持ちも。結局今においては、生のほうが体感が長いわけでそこをどう乗り越えるのか、どう楽できるのか、というジレンマにもぶち当たるわけである。
どんなにこだわったとしても人は死ぬと平等だなと思うし、死んだ後に死ぬ前の記憶が引き継がれていなかったらなお、自己としてはどうでもいい話なんだなぁと思う。。

思ってはいるんだが、、、
そんな事を思いながら、月曜日からまた労働に励み、眠い・だるい・めんどくさい・寒い等の感情を抱きながら生を消化するのである。